2006年2月22日水曜日

福岡県 瓜生さま



45歳で亡くなった従兄の葬儀。

小学生の時にお父さんを亡くし、とても仲の良い1歳下の弟とお母さん。遺族代表の挨拶をその弟がしました。

「兄は亡くなる前に皆さんへのメッセージを私に託しました。『皆さん、悲しまないで下さい。春は桜の花に、夏はセミに、秋は紅葉に、冬は雪になって皆さんの傍にいつもいます。』」この様なお話でした。

参列者のほとんどの方からすすり泣きが聞こえてきました。私も涙があふれて・・・。

亡くなった人の気持ちがストレートに伝わってきた葬儀でした。

(福岡県:瓜生さま)

2006年2月13日月曜日

東京都 保延さま



昨年(平成16年)に弟が膵臓癌で亡くなりました。その葬儀の準備の際、私は葬儀社と喧嘩寸前になり葬儀社というものは悲しみで思考能力が低下している遺族相手に強欲で迫ってくるものなのだと思いました。

生花の祭壇を希望した所「あれは高くつきますよ普通の祭壇の方がいいですよ」と受け付けようとしないのです。「高いっていくらなんですか」と聞いても具体的な金額をなかなか口にせずなんとか使いまわしのきく白木の祭壇を推し進めるのです。

「若くして亡くなったので華やかに送りたい」と交渉する事数時間。やっと生花祭壇の見本写真を見せました。一時が万事その状態。

見積を出してくれと言えば「いくら出せますか?その金額でやります」と返事。ふざけるな!と言いたい所をこらえ「とにかく細かい見積を出して下さい」通夜振舞のお料理も一方的に決めるので相手のペースで話をさせないように必死でした。

おかげで悲しんでいる暇もなく「この葬儀屋のおっさんに負けてはいけない」と父と伯父、従姉妹の4人で希望通りの葬儀を行いました。

おかげ様でいろいろ勉強になりこれから何度か経験するであろう葬儀を出す側の心得を学びました。

(東京都:保延さま)

2006年2月8日水曜日

北海道 宮下さま



一昨年、私の祖父(私の母の父)が亡くなった時の話です。

祖父はとても優しくて、子供にも孫にもとても親しまれていました。その祖父が亡くなり、出棺を迎えた時、私のおじさん(母の兄)が、北島三郎の「兄弟船」という歌をCDで流し始めました。

この歌は、祖父がとても好きで、いつも口ずさんでいる歌でした。祖父が亡くなったことはとても悲しかったですが、出棺の時は皆笑顔で、あの世へ送り出すことができました。

その計らいをしたおじさんには今でも感謝と尊敬の気持ちでいます。

(北海道:宮下さま)

2006年2月1日水曜日

神奈川県 山下さま



長年病気で苦しみ、今年の4月に他界した妹の葬儀です。

家族思いのとても優しい子でした。ずっと苦しんでいたのでもうこれで苦しまなくていいんだから、みんなで見送ろうと私たち家族なりの葬儀を行いました。

参列者は私たち家族だけ。喪服も着ませんでした。豪華な花輪もありません。そんな事を妹が喜ぶとは思えなかったのです。あの子が好きだったお花をたくさん買い、大事にしていた物を棺に入れ、涙を流しながら「今までありがとう。」と声をかけました。

母は泣きながらずっと妹の顔を触り、「いつも優しくしてくれてありがとう」としきりに言っていました。兄はただ泣いているだけ。私は妹のこの世での最期の顔をずっと眺め、顔を触り、手を触り、足を触り、妹の存在を一生懸命感じていました。

そこにいるのは確かに妹なんだけど、間違いないんだけど、頭がついて行けず、泣きながらも「この人は誰なんだろう」と言う不思議な感覚にも見舞われました。骨になった妹を見ればなおさらそう思います。

あまりにも早すぎる死。納得のできない死。生きるとは、死ぬとは何だろうと深く考えさせられました。人に話せば「何なのそのお葬式?」と思われるでしょう。でも私は、私たちらしい送り方ができたと思っています。

妹よ、どうぞ安らかに。お姉ちゃんもいつかそっちへ行くから、それまで待っていてね。見守っていてね。

(神奈川県:山下さま)