2006年9月20日水曜日

埼玉県 モリノさま



お亡くなりになったのは、主人の上司の女性で、私もすごくお世話になった方でした。

私は、その時妊娠5ヶ月でした。

私の実家の方では、妊婦がお葬式に参列のときは、お腹に鏡を付けて、ご遺体は直接見てはいけない。という風習があり、それに習って、お葬式のお手伝いをさせて頂きましたが、今思うと、きちんとお別れを出来ていない気がして、棺に直接その時折った鶴を入れれば良かった…。とものすごい後悔しています。

会社の人間でもない私を、会社のカラオケ大会に誘ってくれたり、社員旅行に誘ってくれたり…。

もっと、いろいろ教えて欲しかったです。

そんなお世話になったにも拘らず、私は、直接お顔を見ることもしないで…。
申し訳ない気持ちです。

風習も大切だけど、もっと大切な物があると、実感として、教えられました。

(埼玉県:モリノさま)

2006年9月6日水曜日

山口県 トモムラさま



私の1番の思い出のお葬式は、私のばあちゃんのお葬式です。

私はばあちゃん子でした。ばあちゃんが大好きでした。
ばあちゃんは、派手好きで、いつも人前ではおしゃれをして、社交的で、よくしゃべる楽しいばあちゃんでした。

そんなばあちゃんでしたので、葬儀ではたくさんのお友達がきてくださいました。

私と従妹で、御棺に入る前のばあちゃんのお化粧をしました。

葬儀屋さんには「あまり派手にしないほうがいいですよ」と言われたのですが、みんなにこれから会うわけだし、派手好きばあちゃん、天国でもいっぱいモテてほしい・友達も作ってほしいと思い「いつものばあちゃんのほうがいいと思うので、ばっちり化粧します」と伝えて、ばっちりと化粧をし、大好きな香水もしっかりとつけました。

“やっぱばあちゃんはこうでないとな 0”

親族一同納得したできばえでした。最後の最後まで、ばあちゃんらしい葬儀でした。今頃、天国でいっぱい友達もいて、モテているかな 0

(山口県:トモムラさま)

2006年8月17日木曜日

静岡県 モリオカさま



以前の職場は音楽教室の受付。
この教室で現役の先生が40代の若さで亡くなりました。

花と音楽が大好きだった先生。「音楽葬で・・・」という家族の希望もあり、大好きだったひまわりを中心に祭壇を作られました。

お葬式の日は朝からお世話になった生徒さんや同僚の先生が曲を順番に演奏、小さな子供さんから大人まで、今まで先生に習っていた曲などを演奏しました。演奏後には一人一人、選んで持ってきたひまわりなどの花を供える・・・という温かな雰囲気のお葬式でした。

最後に一人息子さんが「花と音楽の好きな母で、今まで自分は母の仕事をよく知らなかったけど、こんなに多くの方に愛されてんだと感謝してます」と弔辞を読まれ、涙、涙。

最後、出棺の際も以前に先生が弾いて録音してあった曲の中から選んだ曲を流しました。音楽が好きで生徒さんにも愛された先生だからこそのお葬式。
今でも心に焼き付いています。

(静岡県:モリオカさま)

2006年8月2日水曜日

神奈川県 カトウさま



葬儀後の火葬場にて待たされている間、お菓子と枝豆とお茶が出されました。
なんでこんな形の悪い枝豆を?と思っていたら喪主が

「枝豆食べてよ。今朝取って来たんだよ。あいつがいないからサ、俺が茹でたんだよ。こんなん(菓子)ばかりじゃ寂しいだろ?
あいつがいればもっと色々振る舞えたのに、悪いね。」

と言われ、胸が締め付けられる思いでした。

葬儀最後の棺桶を閉める時になかなか閉められず、
しばらくしてから大きな声で
「さよなら!」と言っていた声が、今でも耳に残っています。

(神奈川県:カトウさま)

2006年7月26日水曜日

柳本さま



「いい人に限って早く逝く」
ガンで急逝した伯父の死を惜しみ、父が呟いた言葉です。

伯父は笑顔の似合う自分に厳しく人に優しい、誠実で
働き者な人でした。
とても苦しい闘病生活を送っていたであろうに、
兄弟姉妹には心配させまいと、ベッドの中から手紙を書いて
コピーしたものを送ってきました。

葬式の写真は慣例に従った黒縁取りの陰気なものではなく、
いつもの明るい笑顔のカラーで、俳優のようないいお顔
の写真を使っていたのが印象的でした。
バックミュージックは生前に趣味として活躍されていた
合唱のものでした。

介護者であった伯母やその娘はガリガリにやせ衰えていながらも、
伯母は葬儀の途中、精根尽き果てて倒れましたが
精進落としの際も気丈に参加され、
とくに 娘さんは終始笑顔を絶やさず、涙を見せることなく
参列者たちを気遣っておられたのが印象的でした。

(柳本さま)

2006年7月12日水曜日

ペンネーム Y子さま



20年以上前ですが、私がまだ学生の頃、大好きだった祖母が他界しました。

12人もいる孫の中で、一番わたしのことを可愛がってくれていました。その様子は、他の従姉妹や叔母たちも焼きもちを焼くほどでした。

祖母が他界したのは夏休みの1日目の早朝で、夏休みに入ったら直ぐに行こうと思っていた日に亡くなり、母が「学校もあるし病院に来なくていい」と言って行かせてもらえず、すごく残念で今も悔やまれます。

その葬儀の時不謹慎にも笑ってしまったのです。
子供の私にとって 葬儀は退屈で眠いものです。葬儀も終わりかけた頃、そろそろ足の痺れを何とかしないと、とスイッチONにした時、従弟が私にものすごく面白い顔をひつこく向けてきて、どうしても我慢できませんでした。
で、かなり笑ってしまい、で、ものすごく母に叱られました。

私にとって忘れられない葬儀になりました。他界してからも祖母は私のところに数回来てくれたりして、
「生きていた時も亡くなってからもY子ばかり~」
と叔母には今だに焼きもちを焼かれています。

(ペンネーム:Y子さま)

2006年6月14日水曜日

兵庫県 前田さま



もう10年以上前、「おばちゃん」が亡くなりました。
おばちゃんは母の友人でした。

私には初めてのお通夜、お葬式。
親族ではないけれど、お骨も拾わせてもらいました。

おばちゃんが亡くなって悲しいけれど、、
それ以上に、今まで知らなかった、闘病中の話、大人の付き合いのこと、
いろんなことがわかってきて、とても悲しくなりました。

あれから・・

家族ぐるみの付き合いも遠ざかりました。
お墓参りもできません。
お家に行くこともなくなりました。

いろんなことが変わっていったのです。

もしかしたら、変わるのは仕方のないことだったのかもしれません。

(でも、あの頃の私にはわかりませんでした。)

今では、おばちゃんは、亡くなってからも私にたくさんのことを教えてくれてるのだ、と思ってます。

(兵庫県:前田さま)