2008年1月9日水曜日

群馬県 ヤマグチさま



幸せなことに今まで人の死にあまり関わったことのなかった私が、物心ついて初めて体験したのが祖父のお葬式でした。

内孫ということもあり、無口で物静かな祖父でしたがいつも見守るように可愛がってくれました。その祖父の死。

私は、現実味がないにも関わらず、次から次へと零れてくる涙を止めることが出来ませんでした。
お葬式の朝は、暖かい四月の雨が静かに降っていました。

「ご焼香に来てくれる皆さん、雨の中大変だね」などと母と話しながら慌ただしく支度をしているうちに時間になり、お葬式が始まりました。すると、いままで降っていた雨がさぁっと、上がったのです。

相変わらず雲は薄黒くて今にも涙雨を零しそうでしたが、それでもお葬式が終わるまで喪服が濡れることはありませんでした。

来てくださった皆さんの中からは、祖父の人徳だね、祖父が雨を止ませてくれたんだねという声がちらほら聞こえました。

皆から愛され信頼されていた祖父を思い、静かに仏前に手を合わせました。

(群馬県 : ヤマグチさま)

2007年12月22日土曜日

埼玉県 トヤマさま



1年半前の冬、大好きな祖母が86歳で亡くなりました。

70代になるまでテニスをしていた、元気で明るい、友達の多い祖母でした。気の強い祖母でしたので、もっともっと長生きすると思っていました。

ハイカラな祖母で、スパゲティやパンが大好きでした。病気入院中も私がお見舞いに作って持って行った手作りパンを喜んで食べていました。もちろん、棺の中に、旅のお供に、とパンを入れてあげました。きっとあちらの世界に行く途中、道々出会った人たちに、声を掛けて、一緒に食べたに違いありません。

そんな元気で明るい祖母は、自称「晴れ女」でした。

お通夜の日、直前まで降っていた雪が止み、晴れ間が出ました。お葬式の日ももちろん晴れました。四十九日も、一周忌も、祖母の故郷の雪の多い山間部の町の空を晴れさせました。そうやって晴れると、親族皆で「おばあちゃん、そこに来てるね。」と言って、亡くなった祖母を近くに感じるのでした。

きっと、これから先も、3回忌の時も、その後もずっとずっと、晴れた空の下、祖母に会えることでしょう。

(埼玉県 : トヤマさま)

2007年12月7日金曜日

静岡県 アサカさま



おじいちゃんは頑固でわがままで、いつも母を困らせていた。
母は嫁の立場で文句も言えず、そんな中、私はいい喧嘩相手だった。

「100まで生きる」が口癖だったじいちゃんだが92年の冬、お正月を家で過ごすこともできずに亡くなった。

明け方病院に駆けつけた私を意識のないじいちゃんは、待っていた。
手を握ってあげた時じいちゃんの目から涙が一粒、誰も気づかなかっただろう。私も言わなかった。

じいちゃんは待っていてくれたんだいちばんの喧嘩相手を。
手をつないだまま息をひきとった。

(静岡県 : アサカさま)

2007年11月21日水曜日

神奈川県 イガラシさま



祖父は自分が死んだ時のために、事前に遺影を写真やさんで撮っていたようで、いつもは笑わないのに、笑顔の遺影が届きました。

また、いつもの床屋さんには、棺に入る前に散髪して欲しいと頼んでいたようで、床屋さんが来て散髪してくれました。

周りに迷惑を掛けないようにと考えたのだと思います。

その後、お葬式では、お坊さんの数珠が切れ、バラバラになりました。それはとても珍しく良いことなのだそうです。

その後、一周忌の時にも同じように数珠が切れました。祖父の人柄をあらわしているのだと感じました。


(神奈川県 : イガラシさま)

2007年11月7日水曜日

福井県 コンドウさま



数年前、親友が若くして病気で亡くなりました。仕事に私生活に何事にも一生懸命な彼女でした。

特に亡くなるまでの1年は彼女が必死に病魔と闘っているのを間近で見ていながら、何も出来ない自分にもどかしい思いでいっぱいでした。結局何も出来ずに突然彼女は亡くなってしまい、お葬式では悲しさと悔しさで涙が止まりませんでした。

本当は私が彼女を助けられたのではないかという想いがどこかにあったのです。
その後、自分も病気にかかりました。生きているのが嫌になって投げ出したくなる時が何度もありました。

そんな風にくじけそうになった時に思い出すのは、親友の闘う姿勢でした。

闘わずに逃げようとする自分は恥ずかしい、こんな所で自分が負けるわけにはいかないと思いました。そのおかげかずいぶん快方に向かいました。

今思う事は、私が親友を助けられたかどうかよりも、親友は私を助けてくれるために私と出会ってくれた事を大切にして生きよう、という事です。

そして、自分の人生を精一杯生きる事が、親友に対する一番の供養かもしれないと思うのです。


(福井県 : コンドウさま)

2007年10月31日水曜日

新潟県 ヨシノさま



初婚で私より年下の、さらに長男でもある主人と、娘がいる私が家族になれることがやっと決まり、それを誰よりも喜んでくれていた主人の祖父。

とても挙式を楽しみにしてくれておりましたが、風邪を引いたことをきっかけに体調を少しずつ崩し、式の1週間前に残念ながら亡くなってしまいました。

挙式と披露宴を延期することもできない期日であり、おじいちゃんが楽しみにしていた披露宴パーティは予定通り、おじいちゃんのお葬儀の1週間後にとりおこないました。

なんともめまぐるしい6月を送った事!

親族みんなが複雑な心境で冠婚葬祭を行ったわけですが、両家にとっては悲しいながら、おじいちゃんが少々複雑でぎくしゃくしがちな宴を、毎週顔を合わせる場所を作ってくれたお陰で、滞りなく気持ちよく行えた、とあとで皆と話しました。

ありがとうおじいちゃん!


(新潟県 : ヨシノさま)

2007年10月17日水曜日

北海道 サカネさま



父が他界したとき私は高校を卒業したばかりで、母も悲しみのあまりずっと泣いてばかりでどうしたらよいか分かりませんでした。

そんな時、葬儀社の方たちは親身になって準備をしてくれたりしていました。

今思えばちゃんとしたお葬式を出してあげられたのはこの人たちのおかげでもあり、父が今までお世話になった方たちもたくさん来てくれたからこそ今でも心に残る式になったんだと思います。

私の父はとても厳しくいつも怒られてばかり。

本音はいつも母に言っていたようで、そういえばこんなこと言ってたよ、と今になって教えてもらったりすることもあります。

いつもわがまま言ったり心配かけてきたんだなあと今さらながら反省したりもして。

もっといっぱい話したり笑ったり、そして私の運転する車に横に乗せてあげたかったなあと、今でも思っています。

(北海道 : サカネさま)