2009年6月19日金曜日

京都府 キシさま




5月の始めに母を亡くしました。75歳でした。

現代の女性の平均寿命から考えても、もう少し長生きしてもらいたかったなと思います。母は肺癌を患い、手術も受け一度は快方の兆しもあったのですが、昨年秋に転移がみつかりました。高齢ということもあり、投薬による治療を担当医より勧められましたが、母は治療せずに緩和医療を選びました。

家族も皆、母が薬の副作用などで苦しい思いをするよりは、残された時をゆったりと楽に過ごしてくれるほうがいいと思い緩和医療に賛成しました。最期はホスピスのベッドの上でした。家族全員に看とられ眠るように逝くことができました。

私の仕事柄、葬儀についての知識もある程度わかっておりましたが、実際のところ自分の母の段取りをするとなるとなかなか手際良くとはいきませんでした。葬儀社に出入りしておられます花屋時代の先輩の勧めと力添えのおかげで、母の葬儀の祭壇の花を生けることができました。

もちろん今までにも仕事で葬儀の祭壇やお別れ会の花を生けてきました。しかし内心、自分の母となると果たしてちゃんと生けられるかなと不安な気持ちを持ちながら生け始めました。生前は全くと言っていいほど母の前で花を生けたことがありませんでした。

生けながら母への思いや数々の思い出が頭をよぎりながらも、花に気持ちを集中して、無事母の好きであった花を飾ることができました。葬儀に参列くださいました皆様にも母らしい花祭壇だと言って頂き、また自分としてもデザインや装飾という観点ではなく、花の世界に身をおいて経験を積み重ねてきた「私の花」が生けられたと思います。

技術の成果と言うより自分の自然な姿で、母の前でいい格好するのではなく「あなたの息子はこんなふうに成長し、花に携わる仕事をしてきました。幸いな事に自分の好きな仕事を続けてこられました。」と、そんな今日の花を母に見てもらえたかなと思います。

ただ祭壇の花に囲まれた母の遺影を見ていると、自分の親不孝に情けなくなりました。長く好きな花の仕事を続けてこられたのは、まわりの皆様に支えて頂いているおかげです。いつも感謝の気持ちを持って仕事をする事は、母から教えられました。

私も重々その気持ちを大切に思ってまいりました。でも実に情けない事に、その教えを受けた母への感謝は忘れていたのでした。家族の甘えからか、口うるさい親だとばかり思う馬鹿息子だったようです。今となってはもう遅すぎるのですが、ほんとうに母への感謝の気持ちでいっぱいです。

 
 
生前、母からの言葉でいつも私の胸にあるのは

  「花を生けるのが、あなたの仕事」。

 ある時、落ち込んでいる私にかけてくれた言葉です。
 とても大切にしています。