2007年9月26日水曜日

福岡県 サトウさま



子供のときに生き別れになった祖父のお葬式に出ることが叶いました。

母方の祖父だったのですが、母は私が7つのときに亡くなり、その後父が再婚したこともあってか、私たち兄妹は実の祖父母と生き別れてしまったのです。

その後、私が結婚して姓が変わったのをきっかけに再会することができました。残念ながら祖母はもう鬼籍の人でしたが・・・。

父が一方的に絶縁したような状態でしたので、親戚たちが私たちを受け入れてはくれないだろうと思っていたのですが、祖父が亡くなったとき、母の妹である叔母が真っ先に私に知らせてくれたのです。

「断る理由がないもの」と、葬儀への参列を承諾してくれたのです。

兄にとっては再会が最後のお別れにもなってしまいましたが、二度と会えないと思っていた大好きな実の祖父の最期をみとれて、最初で最後のおじいちゃん孝行ができたと思っています。

そしてまた、きっとおじいちゃんが最後に会いたいと私たちを呼んでくれたのではないかとも思っています。

(福岡県 : サトウさま)

2007年9月12日水曜日

大阪府 ウエナカさま



これまでも何度かお葬式に参列した。

だが、自分の母親のお葬式がこんなに早く訪れるとは、全く予期していなかった。

母はとても楽天的で、のんびりしていて、きっと長生きしてくれるだろうなあと、漠然と思っていた。でもちょうど一年前、祖母が亡くなってから、母は全く今までの明るさを失ってしまい、家からほとんど出なくなり、9ヵ月後、とうとう食べるのを拒否し、あっけなく、死を迎えてしまった。

父のあんなにうろたえた様子は初めて見た。

それからお葬式まで、忙しい時間が過ぎた。お葬式の段取りを葬儀屋さんと話し合っていく中で、母の姿を出来るだけ、元気な時のように見えるようにと、お化粧や洋服を着せてもらうことが可能だと聞いた。

父はすぐに賛成し、その夜、私達家族は母の身に着けるものを選んだ。以前母が、コーラスをしている時に、着ていたドレスと父のお土産のスカーフ。それらを身に纏った母は本当に美しく、幸せそうだった。それがせめてもの救いである。

これから何度となく思い出すであろう母の葬儀は、いつも美しく、元気な姿であることが、嬉しい。

(大阪府 : ウエナカさま)