2006年5月30日火曜日

広島県 中根さま



私が結婚して、会社に来たのが昭和47年6月(25歳)でした。
社長さん奥さんのご好意で ささやかでしたが、結婚式をして、新婚旅行に行かせてもらいました。
それから、私達夫婦は一緒に住むことになりました。
夜学に通っていた工場の女の子達も一緒の生活でした。

当時、今はありませんが、工場で奥さんも一緒に作業服を縫いながら女の子たちが夜学から帰ってくるのを待ってお世話をしていましたね
 仕事をしているからと私たち夫婦の食事も一緒に作り、子どものk君の世話をし、女の子の面倒も見ながら仕事にも携わっていて、ろくに夫婦の時間などありませんでしたね。

それでもいつもにこにこして我々に接していただきました。
また私たちに子供が出来てからは、その面倒も見ていただきました。
同居生活でしたので、本当に気の休まることはなかったと思います。

私たちの子供も一人、二人、三人となっても同じようにお世話をしていただきました。
K君も同じくらいの歳でしたから、手のかかる間中、子供の世話をしていただいた事になります。
我が子だけでも大変なことですが、他人の子まで本当に尽くしていただきました。

奥さんに作って貰った素うどんは格別の味がして、今でもあれが食べたいと思うことが有ります。
また白菜の漬物が絶品でいくらでも食べられる味でした。私の友達のM君も二、三度頂いたことがあり、彼もあの味が忘れられないと、今でも言います。

あれから30年、生活面においても 昔とは違ったそれぞれの居場所が出来、生活も安定して環境は一変しました。
奥さんも昔、苦労した分これからはゆっくりと余生を楽しむことが出来ると感じられたことでしょう。
しかし、神のいたずらでしょうか、その時間は余りにも短かったように思います。

体の弱かった社長を初めとして、多くの回りの人々の面倒を見てこられました。
きっとそんな奥さんの姿勢が会社を発展に導いたに違いありません。

今は もう恩返しをすることは出来ませんが この思いを少しでも社会にお返しすることが出来たらと思います。

(広島県:中根さま)

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