2007年2月7日水曜日

香川県 イケダさま



私の祖母が94歳で亡くなったのですが、土地柄「土葬」となりました。

私は初めて土葬を見たのですが、家族やご近所さんが故人の為に白い着物を縫ったり、棺桶を作ったり、一生懸命送りだす用意をしているのを見て、死を自然なものとして受け入れる姿に感動しました。

葬儀社が行う形だけの物とは、全く違うように感じました。

(香川県 : イケダさま)

2007年1月24日水曜日

北海道 ウエマツさま



昔とある山岳会に入会しており、山仲間2人が正月に冬の利尻山で遭難死しました。

仲間と捜索に行って、一人だけは発見することができましたが、もう一人は発見できず、その年の夏に雪の中から出て来ました。

2人とも若く、子供も小さかったので、お葬式には山道具を一緒に棺の中に入れてやりました。

先に発見した仲間は、子供がまだ4歳で一体何が行われているのか分からない様子で、大勢の人がいて楽しそうにしていたのが印象的でした。

遺影は山に行った時の写真で、遺品となった山道具も置かれています。本当に山が好きな奴でしたが、妻と子供を残して自分だけ亡くなって、残念でした。

4歳の子供は自分の子供と同じ歳で、生きていれば高校生の子供となっていたはずです。夏に発見された仲間は、残念ながら損傷が激しく顔を見ることはできず、悲しみを倍増させたと思います。
2人とも本当に山好きの良い仲間でした。

この2人には、一緒に行くことで誘われていましたが、自分は家族と一緒に過ごすこととしていました。

(北海道 : ウエマツさま)

2007年1月10日水曜日

埼玉県 タグチさま



先月のはじめに主人の祖母が89歳で亡くなりました。

同居こそしていませんでしたが、毎週のようにおばあちゃんの家に遊びに行って、小学校低学年と幼稚園児の子供と一緒に遊んだり、ごはんを食べたりしてくれたやさしい方でした。

子供たちにとっては初めてのお葬式で、あまり理解はできていなかったようでしたが、最後に子供たちとよく遊んでくれた、かるたとトランプを棺に入れ釘を打ったとき、幼稚園児の息子が
「おばあちゃんが出られなくなるからそれしないで、やめてよ、やめてよ。」
と言い出したのです。

こんな小さな子供にその場で言い聞かせる言葉も見つからず、子供の肩を抱いていることしかできませんでした。

(埼玉県 : タグチさま)

2006年12月6日水曜日

愛知県 ホリエさま



以前勤めていた葬儀屋での心に残る葬儀です。

亡くなった方は50歳くらいの女性で、だいぶ年下のご主人が喪主を務められました。

女性は韓国籍の方でした。ご主人は日本人だったので葬儀は日本式の仏教のお葬式でしたが、死に装束だけは彼女の故郷の風習に習いたいということで、黄色のキレイなチョゴリを着させてあげました。
傍で見ていてもご主人の愛情の深さが分かり、本当に奥さんをなくされて肩を落とされている様子でした。

ずっと棺の傍らに付き添われ、出棺の前のお別れには奥様にキスをされ、出棺時には奥様の写真に「行って来るよ」と手を振られ、写真を持って見送りに立っていた私は思わず仕事も忘れ泣いてしまいそうでした。

(愛知県 : ホリエさま)

東京都  イグチさま



お嫁に来たばかりの頃です。

義母の父上(祖父、ですね)が亡くなられました。結婚するまでナースとして働いていた私は即座に祖父宅に呼ばれ、お体を拭かせて頂くというケアをさせて頂きました。

終の衣装にと用意してあった浴衣に着替えをする際、ご家族にも手伝っていただいて、ほんとうに家族が祖父を見送った。そんな感じがしてとても印象に残っています。

そして、音楽が好きだったという祖父の意思を継いで、お式は音楽葬でした。

懐かしい童謡やクラシックが響く中でのお式は初めてでしたので少し驚きました。
ご家族にお話をうかがうと、生前、自らが葬儀屋さんに出向き、この音楽を流してこういう式にしたい、とプランを練って予約しておいたというのです。

祖父のように、自分の好きなようにプランを組んであるお式は初めてでしたので印象に残っています。

(東京都 : イグチさま)

2006年11月15日水曜日

東京都 フジモトさま



私の祖母が他界したのは、今から3年半前の11月の終わりのことです。

享年92歳。戦争で夫を亡くし、ひとりで5人の子供を育て大変苦労をした人でした。でも、老後は5人の子供と12人の孫、12人のひ孫に囲まれ、ゲートボールと温泉を楽しむとてもすてきな優しい祖母でした。

8ヶ月入院した後、祖母が亡くなったその日、ひ孫の一人の男の子が病院で兵隊さんをみたそうです。おじいちゃんがむかえに来たんだ、これで安心して送り出せるね、と親族で話しました。

そのようにして旅立っていった祖母のお葬式は、50人近い親族に囲まれた悲しくもあるけど、どこかなごやかなものだったように思います。

私たちは、お葬式の当日、あわててランドセルを買いにいきました。

祖母は、それまで入学するひ孫にランドセルを買ってくれていました。亡くなる少し前に、ランドセルを買ってあげてとお金を渡されていたのです。

お葬式のあと、きれいに飾られた祭壇の前に4人のひ孫が並びました。赤いランドセルが1つと黒いランドセルが3つ。

大きいおばあちゃん(ひ孫にはそう呼ばれていました)ランドセルありがとう。

祭壇の中の祖母が、にっこり笑っていました。

(東京都:フジモトさま)

2006年11月2日木曜日

岡山県 ソダニさま



もう5年前のことになります。

今の主人と出会って婚約し、結婚式の準備に追われている幸せいっぱいだった頃、私の祖母が悪性腫瘍であることがわかりました。
入院して手術と抗がん剤の治療を繰り返しながら、一度は家に帰れたものの再発し、体のあちこちに転移が認められました。
再度入院することになり、まだ婚約中だった主人と何度もお見舞いに行きました。祖母には告知をしていませんでしたが、死を悟っているようで私たちにいろんな話をしてくれました。

それから2ヶ月後祖母は家族が見守る中、息を引き取りました。
私は祖母が大好きでした。思春期で親に反発していたころ、祖母だけは私の気持ちを理解し受け止めてくれ、だからこそ祖母の話には耳を傾けていました。そんな祖母ともう話ができなくなるかと思うと悲しくて、お通夜、お葬式の間中ずっと涙が止まりませんでした。最後のお別れのとき、お棺の中に祖母が元気だったころみんなで撮った写真と、私が書いた祖母への最後の手紙を一緒に入れてもらいました。

それから数ヵ月後、祖父が祖母の持ち物を片付けているとき、ある手紙を見つけ、私に届けてくれました。その手紙は、結婚式を延期するのがよいか考えていた私宛でした。

そこに書かれていたのは、もし自分が亡くなっても気にせず結婚式を挙げなさいということと、どんなにつらいことがあっても夫婦でお互いをいたわりながら助け合って頑張りなさいということでした。

その手紙を読み、大声で泣きました。きっと、私のことが心配だった祖母が、お葬式の日にお棺の中に入れた手紙の返事のかわりに天国から送ってくれたんだと今でも思っています。

現在、祖母の教えを胸に、主人と二人の子をもうけ、家族仲良く暮らしています。

(岡山県:ソダニさま)